お見合いパーティー 大阪の重要なお知らせ
自己資本を理論的に許容できるギリギリまで縮小していたため、想定外だったロシア国債のデフォルト世界を変える野心をもっていたMさんこのLTCMの破綻以降、人前には姿を現わさなくなってしまったMさんは、子供のころには自動車のエンジ二アなることが夢だった。
父親は社会学者で有名なBさん。
社会的フィードバックの研究で知られ、「自己実現的予言」と呼ばれる現象などを理論化したが、これは自分の発言が社会的フィードバックで実現していくという興味深いものだ。
彼は、毎日、オイルまみれの息子を見てため息をついていたともいわれる。
ところが、息子のMさんは、C大学工学部に在籍していたとき、C社とF社という二つのミシン・メーカーが合併する話を聞いて、あるアイディアを独自に思いついた。
このときC社の株は高く、F社の株は安かった。
そこでMさんは仲間からお金を集めてきて、F社の株を買って、C社の株は空売りした。
これは、実はアービトラージ(裁定取引)と呼ばれる投資テクニックであり、C社とF社が合併したとき、若きMさんはかなりの額のお金を手にした。
これ以降、彼は金融工学に取り付かれて、ノーベル経済学賞を受賞したポール・Sさんなどについに起こったとき、資金のための追加担保が枯渇して追いつめられてしまったのである。
ノーベル賞の受賞対象となったブラックUS式だけでなく、多くの業績を金融工学に残したMさんは、現実の金融システムには多くの無駄があることに気がついていた。
彼が研究しているデリバティブを応用すれば、たとえば、巨大な機構をもっている保険会社というのは、まったく必要がなかったからである。
この現実の世界において保証や保険のすべては、デリバティブによって実現できる。
したがって、Mさんにとって必要なのは、デリバティブを取引できる架空の市場だけであり、あとは何も要らないと思えたのである。
彼の構想が現実化していれば、AIGのような巨大な保険コングロマリットなど、破綻する以前に消滅していたことだろう。
とはいえ、Mさんたちが編み出した金儲けのネタになるブラックUS式を称賛する保険業界の人々ですら、彼のデリバティブによる社会革命構想に賛成しなかったことはたしかである。
また、たとえ世界がデリバティブに覆いつくされたとしても、その網の目を潜り抜けて「騙し」を考え付く人間は跡を絶たないに違いない。
そして、そもそも、彼らの金融工学が教えている唯一のことは、何も特別な情報を持たない人間は、市場を出し抜くことが出来ないという単純な事実にすぎなかった。
アメリカの時価会計も金融商品のための技術だった証券化にしてもデリバティブにしても、実は、効果をあげるにはもうひとつ肝心な仕組みが必要だった。
会計における時価主義である。
もともとアメリカ会計原則は原価主義であり、いまもそれは変わらない。
アメリカで時価主義を適用するのは、投資目的で保有している証券や金融商品に限られていた。
日本では時価会計にすると不正がなくなるという、まったく根拠のない理由によって長期不況時に時価会計が導入されたが、時価会計の専門家であるK大学教授のT氏によれば、かえって不正は起こりやすくなるという。
また、日本では不況の時期に時価会計の導入が進められたが、こんなことは世界でも初めてのことだった。
会計学の歴史を振り返ると、インフレが進む時期には時価会計の採用が検討されることが多いが、「時価」というものの定義が難しく、結局は導入しても失敗に終わるというのが時価会計の歴史である。
たとえば、保有する証券をほんの少しだけ高く売却して、その高い価格で資産を計算して実態をごまかすとか、デリバティブの価値を偽って高く見積もるといった不正が起こりやすいのだ。
また、不況時には資産の価値が下落するので、はなはだしくバランス・シートが段損して、企業が破綻してしまうことになる。
そんなことは子供でも分かるはずなのに、世界中が時価会計に移行しているから、日本もそうしなくてはならNさんいう論理だけで、日本は不況時に時価会計を採用して自分たちの首を絞めたわけである。
アメリカやヨ−ロッパでは、証券やデリバティブを中心に時価主義を適用すれば、金融における好景気を加速することができた。
特にアメリカにおいては急速に証券やデリバティブの価値が上昇したから、未曾有の好景気を印象づけることができた。
時価主義の導入はむしろ、ウォール街が沸き立つための条件として選択されたのである。
しかし、いったん金融バブルが弾けてしまうと、今度は急激に証券やデリバティブの価値が下落するので、金融は激しく縮小することになった。
アメリカではすでに二○○七年から時価会計の緩和が主張され、翌年の九月にはSEC(証券取引委員会)が時価会計の緩和に踏み切った。
すぐにヨ−ロッパが中心の国際会計基準も一部凍結を言い出し、日米欧が歩調をあわせたのが同年十月である。
会計基準は守るべきルール(規則)だというのも正しいが、それはシール(道具)でもあり、ひとつの「技術」にすぎNさんいう視点でも見Nさん、日本のように馬鹿正直に守ってデリバティブを支えた「イトー」は金融に無縁だった。
こうしたデリバティブを可能にする数式には、ある日本人数学者の功績があったことを紹介して締めくくりたい。
九七年、Mさん・SさんとBさん・Mさんがノーベル経済学賞を受賞したとき、二人がともに口にした人物の名前が「イトー」だった。
ブラックUS式は、この数学者イトーの業績に全面的に依存していたからだ。
このイトーを求めて日本のマスコミは取材攻勢をかけた。
当時、イトーすなわちI氏はK大学名誉教授で、弟子たちを指導しつつ悠々自適の生活を送っていたが、突如、その平穏が掻き乱されてしまう。
しかも、取材に来る人たちにいくら説明しても、肝心の「Iの公式」を理解できる者はいなかった。
それでも、I氏はまるで出来の悪い学生に教えるように、何度も何度も「Iの公式」について説明しようとした。
この「Iの公式」は、戦時中の四二年にガリ版刷りの論文集自分で自分の首を絞めることになる。
ウォール街はこの簡単な技術を、証券やデリバティブであこぎに儲けるのに使いすぎて自滅してしまったのである。
発表されたもので、水中の微粒子の「Bさん運動」のようにランダムな動きを、数式で表現する画期的なものだった。
一見ランダムな運動にみえる動きが、比較的シンプルな数式で表現できれば、金融市場に見られるランダムな価格変動にも応用できるとSさんとMさんたちは考え、ついにはブラックUS式のなかに取り込むことに成功した。
SさんとMさんが繰り返し「イトー」の名前を繰り返したお陰で、イトーの名前は世界中に知れわたった。
ウォール街でMさんも知られている日本人はイトーだという話もあったが、これはやや眉唾くさい。
ブラックUS式は、すでにウォール街で使われている電卓に内蔵されていて、別にイトーの公式や名前を知らなくても使えたからだ。
にもかかわらず、デリバティブが話題になると、イトーの公式が貢献したという話は繰り返し語られた。
こうした浮ついた現象に、当のI氏はうんざりしていたのにちがいない。
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